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半年の重み

今年も長い一年でした。3月まで中学校で働いていたのが嘘みたい。今ならまた違う角度で子どもたちに接し、違う言葉を届けることができるかなと、ふと思ったりします。

5月にケルンに引っ越してから、シリアの情勢はもとより、トルコのクーデターやドイツでも爆発未遂やテロもありました。大きな事件は語学学校の授業でも話題に上がり、その都度クラスの誰かがショックを受け、その姿を見るたびにハッとさせられます。

ドイツ以外のことはわかりませんが、少なくともドイツは難民や移住者に対して、手厚いケアをしていると思います。私のように結婚で移住した人も、仕事を求めて移住してきた人も、もちろん難民として来た人にも、基礎的なドイツ語力とドイツについて学ぶ二つのコースを(義務ではありますが)提供してくれます。失業者や難民は正規の授業料の全額もしくは¾を、私のケースでも½は国が負担してくれます。

私はこの二つのコースを9月末から始めて12月下旬に全て終了しました。ちなみにドイツ語をゼロから始める場合は半年〜1年前後かかります。ドイツ語のB1のテストとドイツについてのオリエンテーションコースの両方に合格したら証明書がもらえ、それが滞在許可証の更新などいろんな場合に必要です。永住権やドイツ国籍を申請する場合にも必要条件になります。

私なんかは国税で負担してもらって勉強できるなんて、ありがたいなぁと思って受講するわけですが、義務として課せられていることに不満を持つ人もいて様々。特にオリエンテーションコースではドイツの憲法や政治のシステム、価値観などを学ぶ中で、母国とのギャップや価値観の違いに不快感を示し、学ぶ意欲まで失ったクラスメートもいました。

例えばドイツでは「個々の性別や身体的特徴、個人的な嗜好に関わらず全ての人間は平等である」という話から、同性愛者も差別されないという話になると、極端に顔がこわばったり「それは病気じゃないか」と抗議したりする子がいる。担当の先生が「母国ではおそらく違う教育を受けてきたと思う。でもドイツでは同性愛者を差別した場合、罰せられるのはあなたたちだ。そのことを理解して、どうしてもそれを受け入れられないというのなら、これから知り合ったり関わったりした人が同性愛者だった場合に、トラブルを起こさないように自分なりの解決策を持たないといけない」と。

イスラム圏やギリシャ正教会の文化圏では、今もって大きなタブーとして扱われているそうで、若い子たちのなかには自分の育った文化そのものを否定されたような気分になり、苦々しい表情を浮かべながら、自分の意見を押し通そうとする子も。普段とても朗らかな彼らが、露骨な差別を示すことに私自身もショックを受けながら、正論を押し付けても解決できないことだし「この国で生きていくのなら、私たちの価値観を知り、どうしても受け入れられないなら、距離を上手く見つけてやり過ごす術を持つべき」という先生の言葉が実際的だと感じる。

別の時には先生が「この国でもっとも尊重されるのがドイツ憲法で、これ以上のものは無い。例えコーランでもドイツでは憲法が上にくる」と言ったとき、クラスの7割はイスラムだったので教室がざわっとして、ピリピリした空気に。これは先生の言い方が直接的すぎたと思うけど、イラン人の女性は信じられないことを聞いたというような感じで、あっけにとられて口を大きく開けて硬直。アレッポからきた若い学生さんは「どうして僕たちの文化を下に見るんだ」とたどたどしいドイツ語で懸命に抗議。「そういうことじゃない、文化の比較をしているのではなく、ドイツの基本原則だ」と先生も一生懸命説明しますが、ドイツ語の壁もあり真意が上手く伝わらないまま授業が終わった日もありました。

先日ベルリンの地下鉄で階段を降りる女性の背中を足で蹴り飛ばし大怪我をさせるという事件がありました。犯人が捕まったこともあり「犯人はブルガリア人の男性で、無事に捕まった」と先生が一言。するとブルガリアから来た女性が「ブルガリア人じゃない、あれはロマ(ジプシー)だ!」と即座に抗議。先生は彼女をなだめながら「ブルガリアで多くの人がロマの問題で苦しんでいることは知っている、だからあなたが彼らをブルガリア人と呼びたく無い気持ちは理解するけれど、ドイツでは彼の国籍はあくまでもブルガリア人で、他に言いようがない」と説明していました。このときの友だちのやりきれない表情も印象的でした。

授業中の積極的な発言とは裏腹に、たまたまなのか民族性なのか分かりませんが、私のクラスメートだったアラブ圏の子たちは時間にルーズ。ほぼ毎日30分〜1時間遅刻します。8割以上出席しないと証書がもらえないので出席してますが、遅れてきたからといって悪びれることもなく、説明し終わった内容でも何でも質問してきます。難民としてドイツに来たシリア人は住むところも与えられ、授業料も生活費も医療保険もドイツが負担しているのに、住むところも自由に決められない、ドイツ語のテストも受けさせられると不満も言います。ドイツからこれだけの恩恵を受けて、なんで不満が言えるんだろうと関係の無い私がイライラしたこともありました。

でもこれは、与える側の視点だったなと反省。彼らは彼らで様々な問題を抱えてここにきて、価値観も文化も違う国で、先の見えない生活に不満があって当然なのです。それを声に出すことでしか状況は変えられない。そしてそのことと、遅刻したりすることは別の問題。それはそれ、これはこれと分けて考えないと、クラスメート一人一人の良いところまで見失いそうでした。

たかだか20人のクラスで毎日起きる一つ一つの衝突が、これからドイツが抱えていく問題の縮図なんだなとしみじみと思いました。現実に難民の受け入れや国籍の問題も含めて、ドイツも厳しくなりつつあります。それでもドイツの一定の割合の人が、これだけの摩擦を抱えても、多様性を是として寛容であろうとする姿には頭が下がります(ケルンは特に多様性を受け入れる気風がある街なので、他の地域だとまた異なるのかもしれませんが)。

語学力以上にこのオリエンテーションの内容の重要性に気づいたのか、2017年からは授業時間数がこれまでの60時間ではなく、100時間に変更されます。それだけ国の負担も増えるにも関わらず、先のことを考えての判断なのだと思います。60時間ではテストの内容を一通りするだけでいっぱいだったので、100時間になればもう少し話し合いの時間も持てるのかもしれません。

多分、私がこの半年で感じたほどの多様さは、これからドイツの生活に慣れていけばいくほど、感じる機会が減るのだと思います。不謹慎な言い方ですが、アーティストとしてこの現実のピリピリした感覚、やるせなさを突きつけられたことは、幸運だと思ってます。この皮膚感覚で制作をしないといけないんだと、改めて実感しました。私の作品には社会的な要素はありませんが、作家としてその感覚を持ちながら描くことは、作品の品位に関わることだと思っています。だからこの半年の貴重な時間を受け止めて、これからの制作に向き合いたいと思います。そして私も移住者の一人として、様々な状況の人と関わりをもって生きていきたいなと思います。

2016-12-24 | Posted in blog, 日記Comments Closed