日記

ドイツ語のテスト(の試験官)

ついに4ヶ月かけて通ったドイツ語のB2コースとテストが終わりました。ドイツ語のレベルは初級のA1,A2,中級のB1,B2,上級のC1,C2と分かれていて、大学に入るのに必要なのがC1のレベルで、B2は専門学校とか研修を受けたりするのに必要なレベル。

テストはそれなりに準備して受けたんだけど、ヒアリングが予想外に難しく、文法の問題も半分くらい撃沈。自分の語彙の無さを改めて自覚しました。まあ、不合格だったらまた受験すればいいし、さすがにこの年齢になると落ち込むでもなく。

ただ、やっぱり慣れないのがテストの試験監督さん。なんというかざっくりした試験監督です。試験中に同僚とこそこそ話したり、携帯電話に着信があったら部屋から出て行くし。

今回の試験監督もなかなかでした。ホワイトボードに書いた時間よりも5分以上遅れて始めたのに、予定時間で終わらせようとして、受験者に抗議されたり。「そうだっけ、じゃあ5分延ばすわね」と軽いもんです。ヒアリングのために窓を閉めたのはいいけれど、その後の長文筆記(ドイツ語で手紙を書く)を開始した後で「暑いから窓開けて〜」と受験者を使って窓を開けさせる。手紙のテーマは二つの中から一つを選んで書くのですが、試験も終わりという頃に「あなたたちは二つのテーマ両方について答えるんですよ〜」と言いだし、受験者をすこぶる動揺させたり。

試験の途中もちょこちょこ「名前書いた?」「今日は7月7日よ」と試験開始前に散々確認させられたことを繰り返し聞いてきては、私たちの集中を遮る。本当にイライラしましたが、これくらいで動揺してはいけない、こういう試験監督とも戦って自分の目的を成し遂げねばならないのだと気持ちを強くしました(笑)。とはいえ受験者もワールドワイドで多種多様。私が「なんて杜撰な試験監督だ」とイライラしているのとは反対に「ドイツの試験はなんてきっちりしているんだ」と思っている国の人もいるはず。

こういう対応って日本だときっと問題になるんだろうなぁと思う反面、おかしいことがあれば、おかしいとその場で言ってその場で解決するということも大事だし、私もそれを気をつけています。

語学学校は終わってしまうとやはりもう少し学びたいなという欲も出てきますが、B2の内容もまだ消化できていないので、しばらくは復習しながら定着させたいです。語学の勉強には終わりがないなあと、しみじみ思います。

 

話の内容とは関係ありませんが、先日あったグループ展にだした作品の一部。左が新作。

2017-07-09 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

一年

ドイツで無事に一年がたちました。健康保険証や滞在許可証の取得からはじまり、移民者のためのドイツ語のコースも終わりました。車の免許もドイツの免許証に書き換え、一通りの手続きは終わり。今は、ドイツ語の中級クラスを終わらせるために、自費で語学学校に通っています。もっとドイツ語を勉強したいところですが、良い加減、何か仕事を見つけないといけないので、7月で一旦終了。

次のステップはやっぱり仕事と税金のこと。税務署への自営業の登録をどうするのかとかも含めて、近々、税理士さんに会うことに。ちょっとした相談でも通常はお金がかかるのは当たり前なんだそうですが、運良く、今住んでいるところの大家さんが税理士さんなので無料で説明してもらえることになりました。

それ以外では、病院をそろそろ探さないとと思ってます。歯科医、眼科、婦人科などそれぞれ、問題が出る前に決めておきたいなあと。ホームドクターというのか、かかりつけ医は家の近くで決めました。まだ二回しか利用していませんが、その先生のドイツ語はとても聞き取りやすくて、この人にしようと思ったのが理由ですが。若くてとても綺麗な黒人女性の先生で、ついつい見とれてしまい、ドイツ語を聞き過ごしてしまうのが問題です。

1年目で運良くアトリエが見つかって今があるので、2年目の課題は税金、病院といったことになりそう。

今年に入ってからの半年は、語学学校とアトリエの往復の日々。祝日も含めてほぼ毎日アトリエに行っているので、アトリエの他のメンバーからは「いつもアトリエにいる」と驚かれるのですが、大学を出てからこんなに毎日制作できる日々なんてありませんでした。それに日本では普通のアパートをアトリエとして利用していたので、ちゃんとしたアトリエを持てる喜びなんてドイツ人アーティストには分からないとはず!毎日絵が描けるなんて、本当に贅沢な話です。

7月に語学学校が終わり、8月にはドイツで初めて個展がします。とにかくそこまでは今のリズムのまま、贅沢な時間を過ごして、その後のことはその時に見えてくるものを待ちたいと思います。

2017-06-08 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

カーニバル

3月も終わりになりアトリエの窓から満開の木蓮が見えて、春を感じます。ほんの1ヶ月前はケルンはカーニバルで賑わっていました。ちょっと振り返ってその時のことを。

ケルンはカーニバルが最も盛んな地域の一つで、2009年に秀桜基金留学賞で滞在していた時も、カーニバルを見に街に行ったりしました。その時は「結局、バカみたいな仮装して、カーニバルツーク(山車)を見て、ひたすらお酒を飲むだけか」という浅い理解に終わり、そもそもパーティーも仮装も楽しめない人間としては、今年のカーニバルは無関係にやり過ごしたいなぁと、周りの誘いも断ってました。ちなみに2017年のカーニバルは2月23日〜2月28日。正確には前年の11月11日に始まるのですが、このあたりのことはいろんな方がそれぞれにブログなどで書かれているので省略。

カーニバルが近づくにつれ、周りの会話の内容も自然とカーニバルに。語学学校の先生は生粋のケルンっ子ですが、アンチカーニバルの人。「カーニバルなんて、クソ馬鹿馬鹿しい」とぶつぶつ。でもカーニバルについて話し出したら止まりません。アンチでもカーニバルについてはいくらでも語れる、ましてカーニバルを心待ちにしているケルンっ子は、カーニバルの役割から歴史、意義についてもいろいろ話してくれます。カーニバルがどれだけ大切な行事か、どれくらい楽しみにしているかは、もう外からは想像がつかないです。

友人の一人が熱く語ってくれたのは「カーニバルの本来の精神は、権力やモラルに対する反抗。その期間だけは何をやっても良い期間なんだ」ということ。権力者を批判しても良いし、真面目に働かなくてもいい。夜通し飲んで夜明けに寝て、起きたらまた飲んで。この1週間だけはある意味真剣かつ徹底的に非道徳的な生活をする。カーニバルが過ぎ去れば、節制して復活祭を待つ、というのが友人の弁。

ドイツのカーニバルはヒエラルキーや権力の構造から離れて、バカをすることが目的で仮装する(らしい)ので、みっともなくて馬鹿馬鹿しい方がいい。いかに馬鹿馬鹿しいかで褒め合う感じ。そういう馬鹿をやることを下らないと思う人たちは街に出て来ない。友人の一人も「カーニバルの間は俺は隠れるよ」と冗談交じりで言ってました。

とは言え、参加する気のない私はカーニバルで語学学校が休みなのを良いことにアトリエで制作をしてました。最も観光客が訪れるローゼンモンターク(バラの月曜日)の27日、街の中心を横切ってアトリエから帰っていると町中がゴミだらけ。なかなかの眺めに足を止めて見ていると道路のいたるところに馬糞。馬糞の臭いの中、ゴミと糞にまみれた道をしばらく歩いていると、不意に「これか!」と気づいたのです。文学作品を読んでいると時に感じる、道化とか祝祭のイメージ。みっともなく汚物にまみれて、不気味に笑う土着的な民衆のイメージ。そういう民衆の祝祭の中にある泥臭い部分をヨーロッパで初めて感じた気がしました。小説に出てくるどうしようもなく愛すべき愚かな人物や、惨めさと誇り高さが混ざったような土くさい民衆。その感覚に馬糞の臭いがリアリティーを与えてくれたとでもいうのか。ここにヨーロッパの精神の一面があるんだなと、不意に強く感じたわけです。


そうなると急にカーニバルに興味が湧いてきて、どうしてもカーニバルのパレードで配られるお菓子が欲しくなり、最終日になっていそいそとカーニバルへ。子どもたちに混じって、結構な量のお菓子を手に入れました。そして夜になるのを待ってカーニバルの最後の儀式とでもいうべき「Nubbelverbrennungen(ヌーベルフェアブレヌンゲン)」へ。これは人間の姿をした藁人形を燃やす儀式です。カーニバルの期間、居酒屋などに飾られていた人形を、カーニバルの終了と共に燃やす。ケルンの中心部のいくつかの地区で夜11時から始まると聞き、興味津々でカメラを持って出かけました。

Nubbelverbrennungenはカーニバル最終日の火曜日の夜に始まります。28日の夜遅く、降り出した雨の中、何が始まるのかと思ったら、人形を担いだ人を先頭に松明を持って地区をぐるっと一周練り歩きました。さすがに観光客はほとんどおらず、中心になって歩いている人たちは真剣そのもの。邪魔する車がくると怒鳴り散らして、迂回させます。

この間ずっと急かすような太鼓のリズムが行進を後押ししてました。時折誰かが “Schande, Schande”と叫ぶと、連鎖するように数名が同じように叫ぶ。それ以外はただ一定のリズムで練り歩く。太鼓の音が何となく圧迫してくるようで、独特の雰囲気。


広場に戻ると輪の中心に人形が置かれ、司祭に扮した人が観衆に向かって語り始め、まるで舞台です。語っている内容は方言が強くて全然分からなかったんですが、つまるところ「罪はどこにあるのだ!」と司祭がといかけ、観衆が「人形にある、人形が罪を背負っている、燃やせ!」といったパターンの会話があって、この押し問答が30分くらい続いたのち、人形に火がつけられました。行進中に”Schande(シャンデー)”と叫んでいたのも「面汚し」と言ったような意味で、人形が背負っている罪を非難してなじっていたわけです。つまるところカーニバルの期間中の人々の罪も全て担って人形は燃やされ、それでカーニバルは終了し、復活祭に向かうという流れ。

この儀式で人形が灰になり、翌日の灰の水曜日をもってカーニバルは終了。水曜日からは通常の生活が始まり、私も語学学校へ。Nubbelverbrennungenを見たと伝えると、アンチカーニバルの先生も「あれは良いよね〜、雰囲気があって。自分も見たことがあるけれど、集まった人たちがカーニバルが終わることを泣いて悲しんでいたよ」と。私が行った地区では泣いている人はいませんでしたが、圧迫するような太鼓のリズムと統率の取れた進行にその本気さはしっかり感じました。11月から始まったカーニバルが遂に終わる。燃える人形を眺めながら、涙する人がいても不思議ではない空気です。

この終わりの行事とパレード、カーニバルの表と裏のようにドラマチックな対比です。カーニバルに高揚する人たちの気持ちが少しわかったような…。ケルンの人たちからは、本気で仮装してもいないくせに、1回で何が分かるかと言われるでしょうけど。

アトリエの仲間からは「トモコはどんな仮装をしたの?」と聞かれ「いや〜、私は観光客みたいな状態だったから」とやんわり仮装しなかったことを伝えると「まあ、今年は大目に見るけど、来年はそれじゃ済まないからね」と釘を刺されました。ケルンから姿を消すか、本気でバカをやるか、一年後には頭を抱えていそうです。

2017-03-28 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

半年の重み

今年も長い一年でした。3月まで中学校で働いていたのが嘘みたい。今ならまた違う角度で子どもたちに接し、違う言葉を届けることができるかなと、ふと思ったりします。

5月にケルンに引っ越してから、シリアの情勢はもとより、トルコのクーデターやドイツでも爆発未遂やテロもありました。大きな事件は語学学校の授業でも話題に上がり、その都度クラスの誰かがショックを受け、その姿を見るたびにハッとさせられます。

ドイツ以外のことはわかりませんが、少なくともドイツは難民や移住者に対して、手厚いケアをしていると思います。私のように結婚で移住した人も、仕事を求めて移住してきた人も、もちろん難民として来た人にも、基礎的なドイツ語力とドイツについて学ぶ二つのコースを(義務ではありますが)提供してくれます。失業者や難民は正規の授業料の全額もしくは¾を、私のケースでも½は国が負担してくれます。

私はこの二つのコースを9月末から始めて12月下旬に全て終了しました。ちなみにドイツ語をゼロから始める場合は半年〜1年前後かかります。ドイツ語のB1のテストとドイツについてのオリエンテーションコースの両方に合格したら証明書がもらえ、それが滞在許可証の更新などいろんな場合に必要です。永住権やドイツ国籍を申請する場合にも必要条件になります。

私なんかは国税で負担してもらって勉強できるなんて、ありがたいなぁと思って受講するわけですが、義務として課せられていることに不満を持つ人もいて様々。特にオリエンテーションコースではドイツの憲法や政治のシステム、価値観などを学ぶ中で、母国とのギャップや価値観の違いに不快感を示し、学ぶ意欲まで失ったクラスメートもいました。

例えばドイツでは「個々の性別や身体的特徴、個人的な嗜好に関わらず全ての人間は平等である」という話から、同性愛者も差別されないという話になると、極端に顔がこわばったり「それは病気じゃないか」と抗議したりする子がいる。担当の先生が「母国ではおそらく違う教育を受けてきたと思う。でもドイツでは同性愛者を差別した場合、罰せられるのはあなたたちだ。そのことを理解して、どうしてもそれを受け入れられないというのなら、これから知り合ったり関わったりした人が同性愛者だった場合に、トラブルを起こさないように自分なりの解決策を持たないといけない」と。

イスラム圏やギリシャ正教会の文化圏では、今もって大きなタブーとして扱われているそうで、若い子たちのなかには自分の育った文化そのものを否定されたような気分になり、苦々しい表情を浮かべながら、自分の意見を押し通そうとする子も。普段とても朗らかな彼らが、露骨な差別を示すことに私自身もショックを受けながら、正論を押し付けても解決できないことだし「この国で生きていくのなら、私たちの価値観を知り、どうしても受け入れられないなら、距離を上手く見つけてやり過ごす術を持つべき」という先生の言葉が実際的だと感じる。

別の時には先生が「この国でもっとも尊重されるのがドイツ憲法で、これ以上のものは無い。例えコーランでもドイツでは憲法が上にくる」と言ったとき、クラスの7割はイスラムだったので教室がざわっとして、ピリピリした空気に。これは先生の言い方が直接的すぎたと思うけど、イラン人の女性は信じられないことを聞いたというような感じで、あっけにとられて口を大きく開けて硬直。アレッポからきた若い学生さんは「どうして僕たちの文化を下に見るんだ」とたどたどしいドイツ語で懸命に抗議。「そういうことじゃない、文化の比較をしているのではなく、ドイツの基本原則だ」と先生も一生懸命説明しますが、ドイツ語の壁もあり真意が上手く伝わらないまま授業が終わった日もありました。

先日ベルリンの地下鉄で階段を降りる女性の背中を足で蹴り飛ばし大怪我をさせるという事件がありました。犯人が捕まったこともあり「犯人はブルガリア人の男性で、無事に捕まった」と先生が一言。するとブルガリアから来た女性が「ブルガリア人じゃない、あれはロマ(ジプシー)だ!」と即座に抗議。先生は彼女をなだめながら「ブルガリアで多くの人がロマの問題で苦しんでいることは知っている、だからあなたが彼らをブルガリア人と呼びたく無い気持ちは理解するけれど、ドイツでは彼の国籍はあくまでもブルガリア人で、他に言いようがない」と説明していました。このときの友だちのやりきれない表情も印象的でした。

授業中の積極的な発言とは裏腹に、たまたまなのか民族性なのか分かりませんが、私のクラスメートだったアラブ圏の子たちは時間にルーズ。ほぼ毎日30分〜1時間遅刻します。8割以上出席しないと証書がもらえないので出席してますが、遅れてきたからといって悪びれることもなく、説明し終わった内容でも何でも質問してきます。難民としてドイツに来たシリア人は住むところも与えられ、授業料も生活費も医療保険もドイツが負担しているのに、住むところも自由に決められない、ドイツ語のテストも受けさせられると不満も言います。ドイツからこれだけの恩恵を受けて、なんで不満が言えるんだろうと関係の無い私がイライラしたこともありました。

でもこれは、与える側の視点だったなと反省。彼らは彼らで様々な問題を抱えてここにきて、価値観も文化も違う国で、先の見えない生活に不満があって当然なのです。それを声に出すことでしか状況は変えられない。そしてそのことと、遅刻したりすることは別の問題。それはそれ、これはこれと分けて考えないと、クラスメート一人一人の良いところまで見失いそうでした。

たかだか20人のクラスで毎日起きる一つ一つの衝突が、これからドイツが抱えていく問題の縮図なんだなとしみじみと思いました。現実に難民の受け入れや国籍の問題も含めて、ドイツも厳しくなりつつあります。それでもドイツの一定の割合の人が、これだけの摩擦を抱えても、多様性を是として寛容であろうとする姿には頭が下がります(ケルンは特に多様性を受け入れる気風がある街なので、他の地域だとまた異なるのかもしれませんが)。

語学力以上にこのオリエンテーションの内容の重要性に気づいたのか、2017年からは授業時間数がこれまでの60時間ではなく、100時間に変更されます。それだけ国の負担も増えるにも関わらず、先のことを考えての判断なのだと思います。60時間ではテストの内容を一通りするだけでいっぱいだったので、100時間になればもう少し話し合いの時間も持てるのかもしれません。

多分、私がこの半年で感じたほどの多様さは、これからドイツの生活に慣れていけばいくほど、感じる機会が減るのだと思います。不謹慎な言い方ですが、アーティストとしてこの現実のピリピリした感覚、やるせなさを突きつけられたことは、幸運だと思ってます。この皮膚感覚で制作をしないといけないんだと、改めて実感しました。私の作品には社会的な要素はありませんが、作家としてその感覚を持ちながら描くことは、作品の品位に関わることだと思っています。だからこの半年の貴重な時間を受け止めて、これからの制作に向き合いたいと思います。そして私も移住者の一人として、様々な状況の人と関わりをもって生きていきたいなと思います。

2016-12-24 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

語学学校2

アトリエが決まって存分に制作をしているかというとそういうことはなく、9月下旬から語学学校に通っている毎日。午後13時半から4時間の授業なので、午前中に宿題して午後は学校、夕方は家の雑用で終わる日々。

その語学学校も途中に秋休みを挟みながら5週間の集中コースが終わりました。最初はアラビア語を話す人はみんなシリアの方かと思っていたけど、少しずつ仲良くなっていくうちに、イラン、イラク、エジプト、チュニジアと多種多様なことに気づく。それ以外にもボスニア、チベット、マケドニア、ポルトガル、ウクライナ、ウズベキスタンと数えてみると15カ国。同じクラスに15カ国。すっごいな〜とあらためて関心。

これだけの多文化なクラスを束ねるには、先生にも力量が必要。私たちのクラスの先生は絶妙な下ネタで男性陣の心を掴み、ユーモアと思いやりで女性陣を。そして私たち生徒一人一人が抱える様々な背景も含めて対等の人間としてきちんとリスペクトを払ってくれる。努力不十分と見れば厳しく叱ることもあり、古き良き時代の教師という感じ。私は5週間だけだったけど、半分以上の生徒は、最初のレベル1のクラスからレベル6までを半年に渡り一緒に学んで来たわけで、今日は涙のお別れでした。

最後に先生は自分の携帯番号を私たちに伝え、何かあったら相談に来いと。中には難民としてドイツに来て、心から信頼できるドイツ人にまだ出会っていない人もいます。彼らにとって先生は半年間親身になって優しく厳しくドイツ語を教えてくれ、同じ時間を過ごした数少ない理解者。たった一人でも頼れるドイツ人がいると思えることが、どんなにか心強いだろうと思うと、もらい泣きしそうになりました。

何より、何歳になっても学ぶって楽しいと心から思う日々でした。褒められたらやっぱり嬉しいし、独学のドイツ語で行き詰っていた部分から脱出できそうな気分。それもあって、この機会にもう一つ上のレベルのコースも受けようかなと思案中。

ここから先は義務ではなくなるので国からの補助はなくなります。でも言葉が出来ないと戦っていけないのも事実。自分の言葉で作品を説明できるように、もうちょっと頑張ろうかなぁ。

2016-11-10 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

舞台を見ました

ドイツに来てから6月にBraunschweigで演劇ユニット・ チェルフィッシュの「God Bless Baseball」、昨日はMüllheim an der Ruhrで劇団・地点の「ファッツァー」を見る機会がありました。どちらも日本人の知り合いが日本の劇団が来るよ〜と情報をくれたおかげ。本当にありがたい。倉敷にいてもなかなか機会が無いのに、ドイツで。

どちらも見る側にも忍耐と思考力を要求される舞台でしたが、その舞台の前にドイツ人の観客に向けてのガイダンスがありました。日本の社会情勢についてある程度知っておくことで、なぜ彼らが今このような表現をしているのか理解の一助になるだろうと。昨日のガイダンスでは、こう切り出されました。

「現在の安部晋三内閣は、まったくもって右派であり、日本をその方向に強く推し進めている。新しいナショナリズムを形成していると言ってもいいでしょう。もちろんそれに対抗している勢力もあり…」と。福島の現状なども含めて、震災後の日本を語られていました。ここまで明確に現状が日本のメディアで表現されることはなく、演劇を通して日本の状況に詳しい一人のドイツ人が淡々とこう語り始めたことに少なからずショックと安堵を受けました。

安堵というのは、明確に言語化された現状を耳にしたことで、自分の感じていることは間違いではないという安堵感。一方でその現状を事実として耳にすることで鳥肌が立つほどのショックと。それを日本語ではなくドイツ語という言語で聞いたことも大きいのかもしれません。

余談ですが、日本語は事実にせよ意見にせよ、それをコミュニケーションの中でポンと置いて提示することに向いていない言語だと思います。英語の「It is …」やドイツ語の「Es ist…」に当たるものが無いということを、ずいぶん前に本で読みましたが、その時日本語の言語特性を知ることで生きていきやすくなることがあるんだと、感心したものです。目の前に置かれた意見や事実を否定されても傷つかないけれど、日本語の場合はその否定が提示された事に向かわず発話した人間にダイレクトに向かってしまうと。

ドイツ語で耳にすると、ポンと置かれたその現実が重たい石のように目の前にドスンと落ちてきた感覚です。残念ながら私のドイツ語の力は乏しく、全てを明確に聞き取る事はできませんでしたが、舞台でのドラムやギターのリズムや繰り返される言葉たちと合わせて、頭の中でオーバーラップしています。明日は選挙で、私は今回手続きが間に合わないため選挙に行く事はできませんでしたが、現状に対してNOと思っている方々の思いが少しでも反映される結果になる事を祈る思いです。

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文字だけでは寂しいのでBraunschweigの街並み(6月)。

2016-07-09 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

引っ越しました

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5月11日からドイツのケルンに引っ越しました。これから滞在許可の手続きに入るので、それが完了しないことには、本当に引っ越せたとは言えませんが。ドイツの空港での入国審査で、私が復路の航空券を持っていなかったので、渡独の目的や滞在期間など色々聞かれました。正直に「ドイツに住むつもりで、これから滞在許可を申請する」と伝えると「VISAが無いなら入国は許可できない」と担当のお兄さん。「そんなはずはない」と強く言うと「例外があったかな?あ、日本人はVISAなしでも入国できて、入国後に申請できるんだね。OK! GOOD LUCK!」とようやくパスポートにハンコを押してくれました。ちょっと冷や汗。

ケルンに来て今日で4日目。引っ越しの荷物を片付けてさあこれからと思っていたら、今日からドイツは3連休(5/14〜16)で、週明けまで事務手続きはできません。年明けから個展の準備やデザインの仕事、引っ越しの準備などで休む間も無く動き続けていたので、急にスケジュール帳が真っ白な現状が不思議な感じです。

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余りに時間があるので、クルミを割ったりしてみました。パートナーが友人からもらったという昨年のクルミとヘーゼルナッツ。昔ベルリンに5週間ほど滞在していた時に、リンゴとクルミは買うものではなく拾うものだということを学びましたが、ケルンでは拾ったことももらったこともなかったな、などと考えながら。

毎年来ているケルンですが、留学していた2009年から比べても変わらない姿にドイツらしさを感じます。スーパーに行っても新商品など見当たらない、いつも同じ鉄板の品揃え。そういうことが贅沢に感じます。これからの生活がどうなるのか見当もつきませんが、一連の手続きが終わったら、早めに制作できる環境を整えたいと思っています。余り頻繁には更新できませんが、私の目に映るドイツの様子を綴っていく予定です。今後ともよろしくお願いします!

2016-05-14 | Posted in blog, 日記Comments Closed 

 

たぬき

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アトリエの近くでたぬきと遭遇。なんかテンションが上がって、制作がんばれました。

2015-03-09 | Posted in 日記No Comments » 

 

イルマ

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大好きなイルマが1月20日に亡くなったとお知らせが届きました。イルマとマーチンと一緒に過ごした2009年の6週間は、私の人生の中でもっとも美しい時間だったと思います。あんな穏やかな時間を持つことはもう無いんじゃないか、と。その記憶が大切すぎて、再会することで何かを失うんじゃないかと勇気が出せずにいたけれど、去年の夏にベルリンまで会いに行きました。イルマは認知症が進んでいて、会話は噛み合なかったけれど、私のことを忘れずにいてくれました。

東ドイツ時代のことや文学、芸術のこと、たくさん話をしたなあ。目が悪くなってきたと嘆くイルマに、「私の目が二人分見てるから」とマーチン。そんなマーチンは耳が遠くて、イルマは「あなたの分も聞いてるから。私たちお互いにうまくできてるわね」と。

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3人での朝食もいつも楽しくて、美味しくて。

1枚目の写真は、二人の思い出の地ブコウという町へ3人で日帰り遠足したとき。ブコウ時代の話を何度もしているうちに、イルマが突然「行きましょう。もうきっとこのタイミングを逃すと二度と行けない気がする」と。私にブコウを見せるという動機が二人にきっかけを与えたよう。ブコウで歩きながら「もう見ることはないわね」と話す二人。「あなたのおかげでもう一度ここを見ることができた、本当にありがとう」と言われたことは忘れられない思い出です。

旧ブログ:イルマとマーチンの記事へ

二人にはただただ感謝です。

2015-02-23 | Posted in 日記No Comments »